『名前のノート』はどこで見れる?配信中サービスまとめ
『名前のノート』はどこで見れる?配信サービス一覧
『名前のノート』は2026年7月現在、Hulu で配信中です(各社の公式配信情報にもとづく。下表に配信開始日と出典を掲載)。
| 配信サービス | 配信状況 | 出典 |
|---|---|---|
| Netflix | − | − |
| Amazon Prime Video | − | − |
| Disney+ | − | − |
| Hulu | 配信中 2026年7月1日〜 | 公式 出典 |
| U-NEXT | − | − |
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『名前のノート』とは?作品の見どころ
『名前のノート』は、チリの映像作家コンビ、クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャが手がけた短編アニメーション作品です。原題は『Cuaderno de Nombres』、英題は『Notebook of Names』。2023年に製作され、上映時間はわずか7〜8分という小さな作品ですが、その密度と重さは長編に匹敵します。
『名前のノート』の作り手であるレオン&コシーニャは、2018年のストップモーションアニメ『オオカミの家』で長編デビューを果たし、世界的な注目を集めた二人組です。壁や床そのものをキャンバスにして絵を描き替えながら撮影していく独特のコマ撮り技法は、観る者を悪夢のような空間に閉じ込めることで知られています。本作『名前のノート』でも、その手法はまったく緩められていません。ただし今回、彼らがその技術を向けた先はフィクションの怪物ではなく、チリの現実の歴史でした。
1973年の軍事クーデター以降、ピノチェト軍事政権下のチリでは多くの人々が強制失踪させられました。『名前のノート』が正面から見つめるのは、そのなかでも11歳から17歳という、まだ子どもと呼ぶべき年齢で消えていった51人の存在です。記録からも抹消され、多くが遺体すら戻ってこなかった若者たち。本作は彼らの名前を映画という形式に刻みつけた、いわば「映画としての慰霊碑」です。
日本では2025年2月8日に、同じ監督コンビの長編第2作『ハイパーボリア人』との同時上映という形で劇場公開されました。そして2026年7月1日より、Huluで見放題配信が始まっています。
『名前のノート』を全話無料で見る方法
『名前のノート』は、2026年7月1日よりHuluで見放題配信が開始されました。Huluの月額定額プランに加入していれば、追加料金なしで本作を視聴できます。上映時間は7〜8分程度と短いため、通勤前のわずかな時間や、就寝前のひとときにも観られる長さです。ただし内容の重さを考えると、腰を据えて向き合う時間を選んだほうがよいかもしれません。
Huluでは、本作と同時に長編『ハイパーボリア人』も2026年7月1日から配信が始まっています。『名前のノート』と『ハイパーボリア人』は日本での劇場公開時に併映された組み合わせであり、どちらもレオン&コシーニャによるチリ現代史への視線を共有しています。劇場で観た並びをそのまま自宅で再現できるのは、配信ならではの利点だといえるでしょう。短編を先に観てから長編に進む順序は、劇場公開時の体験に近い流れになります。
Huluは初めて利用する場合、公式サイトから登録手続きを行うことになります。無料トライアルの有無や期間、対象条件は時期によって変更されることがあるため、最新の条件はHulu公式サイトでご確認ください。テレビ、スマートフォン、タブレット、PCなど複数のデバイスに対応しているので、視聴環境を選びません。
なお『名前のノート』のような短編作品は、配信のラインナップから予告なく外れることもあります。気になっている方は、配信されているうちに観ておくことをおすすめします。海賊版サイトなどの非正規な手段ではなく、Huluをはじめとする正規の配信サービスで視聴することが、こうした小さくても志のある作品が次に作られるための支えになります。
あらすじ
『名前のノート』には、いわゆる物語らしい物語はありません。主人公が困難に立ち向かい、成長し、結末にたどり着くという構造を本作は持っていないのです。代わりにここにあるのは、記憶と名前をめぐる7〜8分間の儀式のような時間です。
『名前のノート』が題材にしているのは、1973年9月11日の軍事クーデター以降、ピノチェト軍事政権下のチリで強制失踪させられた未成年者たちです。ディエゴ・ポルターレス大学の歴史的・ジャーナリズム的調査に基づき、クーデター後の日々と数か月のうちに姿を消した11歳から17歳の51人の若者に焦点が当てられています。彼らの多くは遺体が発見されておらず、公的な記録からも存在を消されかけていました。
映像は白黒で構成され、レオン&コシーニャならではの重厚なアニメーションが画面を覆います。描かれては消され、また描き直される線。にじみ、めくれ、崩れていくイメージ。それは記憶そのものが持つ不安定さと、権力によって塗り潰されようとした事実の手触りを同時に感じさせます。監督のコシーニャは、この短編を「川、エネルギーの大きな流れ」であると同時に「ささやき、学童のノートの最後のページに書かれた秘密のようなもの」として構想したと語っています。
そして終盤、画面には犠牲となった未成年者たちの名前が次々と現れ、読み上げられていきます。あらすじを説明するならば、それがほとんどすべてです。しかし、名前を呼ぶという最も単純な行為こそが、存在を抹消しようとした暴力への最も直接的な応答になっている——『名前のノート』はその一点に、短い上映時間のすべてを注ぎ込んだ作品なのです。
登場人物
『名前のノート』には、通常の劇映画のような登場人物は存在しません。名前を持ち、性格を与えられ、物語のなかで行動するキャラクターは本作には登場しないのです。この不在そのものが、本作の主題と分かちがたく結びついています。
『名前のノート』が向き合っているのは、まさに「登場人物になれなかった人々」です。1973年のクーデター後にピノチェト軍政によって強制失踪させられた11歳から17歳の51人。彼らは本来、それぞれの人生の主人公になるはずでした。しかし記録から抹消され、遺体すら多くが戻らなかったことで、彼らは物語を持つことすら奪われてしまった。本作がキャラクターを描かないのは、描くべき人生の続きが暴力によって断ち切られたという事実を、そのまま形式に翻訳しているからです。
代わりに画面に現れるのは、名前そのものです。終盤で次々と読み上げられていく51の固有名詞は、本作における唯一にして最大の登場人物だといえるでしょう。人格の細部を描写する代わりに、本作は「この人が確かに存在した」という最小限の事実だけを、繰り返し観客に手渡します。
また、本作にはクレジット上の出演者としてニナ・サルバドールの名前が記されています。ただし彼女は本作の撮影・アニメーション制作にも参加しており、演者と作り手の境界は明確に分かれていません。この曖昧さもまた、本作が個人の演技ではなく集団的な行為として成立していることを示しています。『名前のノート』において、キャラクターの代わりに立っているのは、名前を呼ぶ人々の集合的な声なのです。
スタッフ・キャスト陣
『名前のノート』は俳優の演技によって成り立つ作品ではないため、キャストという言葉が指す範囲は通常の映画とは大きく異なります。クレジット上、出演者としてはニナ・サルバドールの名が記されていますが、彼女は同時に本作の撮影とアニメーションにも参加しており、演じる側と作る側を横断する存在です。
『名前のノート』の実質的な「キャスト」にあたるのは、むしろ声を提供した人々です。本作の音響、とりわけ合唱部分は、バルマセダ・アルテ・ホベン(Balmaceda Arte Joven)のワークショップに参加した若者たちとの共同作業によって作られました。監督たちは彼らとともに物音を立て、コーラスの旋律を生み出し、それを作品の音の層として積み上げています。つまり本作で聞こえてくる声は、プロの声優や俳優のものではなく、チリの若い世代そのものの声なのです。
この選択には明確な意味があります。強制失踪させられたのが11歳から17歳の若者たちであったこと、そして彼らの名前を呼ぶのが同じ年頃の現在の若者たちであること。この対応関係によって、『名前のノート』は過去の追悼にとどまらず、世代を越えて記憶を引き継ぐ行為そのものになっています。
スタッフ面では、監督・脚本にクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャ、脚本にアレハンドラ・モファットが名を連ねます。撮影・アニメーションにはフランシスコ・ビセラル、ニナ・サルバドール、パオロ・カロ・シルバ、トリニダー・サンティバニェスらが参加。プロデューサーはカタリナ・ベルガラ、音楽はValo Sonoroが担当しています。日本での配給はザジフィルムズとWOWOWプラスです。
興行収入・話題
『名前のノート』について興行収入を語ることは、正直に言えばできません。本作は上映時間7〜8分の短編アニメーションであり、単独で劇場公開されて観客動員を積み上げるタイプの作品ではないからです。短編映画には基本的に興行収入という指標が設定されず、本作についても公表された数字は確認できません。この点は誤魔化さずにお伝えしておきます。
代わりに『名前のノート』の歩みを示すのは、公開規模と受け止められ方です。本作は2023年10月、第30回バルディビア国際映画祭のガラ・チレーナ部門でプレミア上映されました。その後、11月14日にディエゴ・ポルターレス大学で一般公開の上映が行われ、チリの公的映画配信プラットフォームOndamediaを通じて無料で配信されています。国が運営するプラットフォームで無償公開されたという事実は、本作が商業的利益より記憶の共有を優先して設計されたことを何より雄弁に語っています。
国際的には、2024年の第48回オタワ国際アニメーション映画祭に出品されたほか、カルタヘナ国際映画祭(FICCI)でも取り上げられました。第5回Cortos en Grande 2024でも上映されています。世界の主要なアニメーション映画祭を巡ったという事実が、本作の評価の高さを示しています。
日本では2025年2月8日、レオン&コシーニャの長編第2作『ハイパーボリア人』との同時上映という形でミニシアターを中心に公開されました。アップリンク京都、上田映劇、シネマテークたかさきといった全国のミニシアターで上映され、映画レビューサイトFilmarksでの平均スコアは3.5前後を推移しています。数字の大きさではなく、届くべき場所に届いた作品だといえるでしょう。
ネタバレ
※ここから『名前のノート』の内容の核心に触れます。未見の方はご注意ください。
『名前のノート』には、驚くような展開やどんでん返しは用意されていません。それでも本作の終盤に起きることは、あらかじめ知らずに観たほうが強く響くはずです。
『名前のノート』が7〜8分をかけて到達するのは、名前を読み上げるという行為そのものです。白黒の重厚なアニメーションが描いては消し、崩しては描き直す不定形なイメージの流れの果てに、画面には犠牲となった未成年者たちの名前が次々と現れ、そして声によって読み上げられていきます。ピノチェト軍政下で強制失踪させられた11歳から17歳の51人。その一人ひとりの固有名詞が、順番に、はっきりと呼ばれるのです。
この終盤の名前の連なりこそが本作の結末であり、同時にすべてです。物語的な解決も、犯人の断罪も、救済の描写もありません。ただ名前が呼ばれる。しかしその単純さが、本作の強度を決定づけています。強制失踪という暴力の本質は、殺すことではなく、存在した痕跡ごと消し去ることにあります。記録から抹消し、遺体を返さず、その人がいたという事実そのものを疑わしくする。だからこそ、名前を正確に呼び、聞き取れる音として響かせることが、その暴力に対する最も直接的な反撃になるのです。
監督のクリストバル・レオンは、本作が扱っているのは「私たちを守るはずの者たちを信頼できないことの恐怖」だと語っています。そして二人はこの作品を「愛と共感の、追憶と悲しみの、探求と希望の行為」として構想しました。結末で名前が読み上げられ終わったあとに残るのは、告発の苦さではなく、確かにここにいた51人がもう一度呼ばれたという事実の重みです。
トリビア
『名前のノート』にまつわる興味深い事実をいくつか紹介します。
まず、『名前のノート』というタイトルの由来です。原題は『Cuaderno de Nombres』、直訳すれば「名前のノート」。監督のホアキン・コシーニャは、この短編を「学童のノートの最後のページに書かれた秘密のようなささやき」として構想したと語っています。子どもが使うノートの余白に、そっと書き留められた名前たち——タイトルはその情景そのものを指しています。強制失踪の犠牲者が学齢期の子どもたちだったことを考えると、ノートというモチーフの選択は痛切です。
本作は単独の映画作品として企画されたわけではありません。『名前のノート』は、ディエゴ・ポルターレス大学のデジタル・ラボラトリーと人文科学センターによる調査プロジェクト「Vestigios(ヴェスティヒオス=痕跡)」の一環として生まれました。このプロジェクトにはサンティアゴのラ・モネダ文化センターでの没入型映像インスタレーションも含まれており、短編映画はその複数のアウトプットのひとつという位置づけです。
『名前のノート』の音は、専門のスタジオではなくワークショップから生まれました。バルマセダ・アルテ・ホベンに集まった若者たちが物音を立て、コーラスを歌い、それが作品の音響の基盤になっています。レオン&コシーニャはこのワークショップで、遊びと実験を通じた芸術教育を日常的に実践している作家たちでもあります。
チリでの公開後、本作はOndamediaという国営の映画配信プラットフォームで無料公開されました。商業的な回収より、まず国民に届けることを優先した判断です。なお製作年は2023年ですが、国際映画祭での本格的な巡回は2024年から始まり、日本公開は2025年2月と、届くまでに時間をかけた作品でもあります。
撮影裏話
『名前のノート』の制作背景には、レオン&コシーニャという作家がなぜこの題材にたどり着いたのかという必然があります。
クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャは、2018年の『オオカミの家』で世界に知られました。同作はチリに実在したドイツ系カルト集団コロニア・ディグニダを下敷きにした悪夢的なストップモーションアニメで、壁や床に直接絵を描き、描き替えながら撮影するという類例のない手法が高く評価されました。彼らの作品は一貫して、チリ現代史の暗部という主題と、物質そのものが変容していく表現技法とを結びつけてきました。『名前のノート』もその延長線上にあります。
本作の出発点は創作ではなく調査でした。ディエゴ・ポルターレス大学による歴史的・ジャーナリズム的リサーチによって、1973年のクーデター後に強制失踪させられた11歳から17歳の51人という具体的な事実が特定されました。フィクションで恐怖を造形してきた二人が、ここでは実際に起きたことの記録に立脚しています。レオンは本作の主題を「私たちを守るはずの者たちを信頼できないことの恐怖」と表現しました。国家が子どもを消すという事態は、彼らが『オオカミの家』で描いた寓話的な恐怖を、現実の側から裏打ちするものだったといえるでしょう。
制作の方法論も特筆に値します。『名前のノート』は二人の作家の署名作品でありながら、徹底して集団創作として作られました。バルマセダ・アルテ・ホベンのワークショップに参加した若者たちが撮影や音づくりに加わり、コーラスを担当。製作はDiluvioとGlobo Rojo Filmsの共同で、プロデューサーはカタリナ・ベルガラが務めています。
消された若者たちの名前を、現在を生きる若者たちの手と声で蘇らせる。『名前のノート』の制作プロセスそのものが、本作のメッセージと完全に一致しているのです。
