セブンが無料で全話見れる動画配信はどれ|考察、ネタバレ、タダで見る方法も解説

1995年
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『セブン』が見れる動画配信サービス

現在、Netflix・Hulu・U-NEXT で視聴できます。

配信サービス視聴可否
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『セブン』とは?作品の見どころ

雨が降り止まない、無名の大都市。退職を一週間後に控えた老刑事サマセットと、田舎から赴任してきたばかりの血気盛んな若手刑事ミルズが組まされ、最初の現場に向かいます。スパゲッティの皿の前で押さえつけられて死んでいた巨漢の男――その身体に書かれた一言は「Gluttony(暴食)」。続いて、私利を貪った弁護士の身体に書かれた「Greed(強欲)」。連続殺人事件の殺害者は、キリスト教の七つの大罪を順番になぞる「ジョン・ドゥ」と呼ばれる男でした。本作は、雨に濡れた大都市の腐敗と、その奥に立ち上がる純粋な「正しさ」の暴走を、観客の心臓を最後の最後まで掴み続ける筆致で描いた1作です。

1995年に公開されたアメリカ映画で、ジャンルは犯罪サスペンス・スリラーです。監督はデヴィッド・フィンチャー、脚本はアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。サマセット刑事役にモーガン・フリーマン、ミルズ刑事役にブラッド・ピット、ミルズの妻トレイシー役にグウィネス・パルトロウ、犯人ジョン・ドゥ役にケヴィン・スペイシー、署長役にR・リー・アーメイが配されています。撮影はダリウス・コンジ、音楽はハワード・ショア。

最大の見どころは、雨と影と工場照明のように冷たい光だけで作り上げられた大都市の質感、ジョン・ドゥの異常なまでに整えられた犯罪計画、そして本作のもっとも有名な台詞「What's in the box?」へと繋がる衝撃のラストにあります。デヴィッド・フィンチャー作品の作家性を一気に世界に提示した1作で、本作以降のサスペンス映画の文法を大きく変えた作品として広く語り継がれています。

『セブン』を全話無料で見る方法

『セブン』を全話無料で見る方法は、現時点での日本国内の主要動画配信サービスでは、Netflix、Hulu、U-NEXTの3つのサブスクリプションのいずれかに加入することです。いずれもサービスへの登録だけで、追加課金なしに最後まで視聴できます。

Netflix

Netflixに加入していれば、見放題対象として本作を視聴できます。Netflixは月額料金型で、加入後すぐに視聴ライブラリの全てが利用可能となり、スマートフォン、テレビアプリ、ブラウザの各環境に対応しています。広告つきプランの「Netflix Standard with Ads」でも本作は視聴対象に含まれます。

Hulu

日本のHuluに加入していれば、見放題ライブラリ内で本作を視聴できます。Huluは月額料金型で、加入後すぐにライブラリの全てが利用できます。Huluは時期によって無料体験キャンペーンが提供されることがあるため、最新状況は公式サイトで確認してください。

U-NEXT

U-NEXTでは、HBO Maxの一部作品ラインナップとして本作が見放題対象に含まれています。U-NEXTのアカウントを開設し月額プランに加入すれば、専用アプリやブラウザから再生できます。新規登録時に無料体験が用意されているケースもあり、その期間内に視聴することも可能です。

そのほか、Apple TVやGoogle Play Movies、Amazon Videoといったデジタル販売プラットフォームでは、レンタルや購入の選択肢があります。これらは「無料の手段ではないが、視聴ルートとして補足」しておきます。Amazon Prime Video、Disney+の日本版では、現時点で本作の見放題配信は行われていません。

あらすじ

物語の始まり

物語の舞台は、雨が止むことのない無名の大都市。長年警察官として勤め上げてきたウィリアム・サマセット刑事は、退職まで1週間というタイミングで、最後の事件の捜査に向き合うことになります。彼の傍に組まされたのは、地方の小さな署から都市部に赴任してきたばかりのデイヴィッド・ミルズ刑事。妻のトレイシーと共に都会に引っ越してきたばかりで、まだ街の匂いに馴染んでいない、若く血気盛んな男です。タイプの違うふたりは、捜査の方法、街の見方、被害者への向き合い方の細部で、何度も衝突しながら捜査を進めていきます。

主人公を待ち受けるもの

最初の現場は、自宅のキッチンで死んでいた巨漢の男。被害者は何時間も無理矢理食事を続けさせられたうえで、最後にバケツで水を飲まされて命を落としていました。サマセットは現場の壁の裏側に、油性ペンで書かれた一文「Gluttony(暴食)」を発見します。続いて、企業内の弁護士事務所で発生した「Greed(強欲)」の事件、麻薬常習者を1年間にわたって縛り付けて衰弱死させた「Sloth(怠惰)」の事件、男娼を凶器に変えた「Lust(色欲)」の事件、若い女性に「Pride(高慢)」の選択肢を突きつけた事件――次々と発生する事件は、いずれも七つの大罪のひとつを忠実に体現する形で組み上げられています。

サマセットは図書館で、ダンテ『神曲』、チョーサー『カンタベリー物語』など、七つの大罪を扱う古典文学を読み返し、犯人の知的背景を徐々に理解していきます。一方ミルズは、街の腐敗と、社会の小さな悪のなかに住み続ける犯罪者たちへの怒りを、現場ごとに募らせていきます。サマセットの「街は変わらない」という諦めと、ミルズの「だからこそ闘うべきだ」という熱意の対比が、本作の倫理的な背骨として徐々に立ち上がっていきます。

物語が進むにつれて立ち上がってくるのは、犯人の異常な才能と、警察の通常の手続きが彼に対してほとんど無力であるという感触です。サマセットがある図書館閲覧記録を辿るところから一筋の光が差し込み、ふたりはついに「ジョン・ドゥ」と名乗る人物のアパートに踏み込みます。けれども犯人本人はすでに姿を消しており、残されているのは膨大な量の手書きノートと、彼の犯罪計画の精緻な見取り図だけです。

登場人物

ウィリアム・サマセット刑事(演:モーガン・フリーマン)

本作のもうひとりの主人公にして語り部。長年警察官として街の暗部に向き合ってきた老刑事で、退職まであと1週間というタイミングで最後の大型事件に巻き込まれます。落ち着いた声、わずかに首を傾けて相手の声を聞き取る癖、ベッドに横たわるたびに耳栓を取り出すルーチン――いずれも彼が街の音から距離を取ろうとしている証として描かれます。モーガン・フリーマンの落ち着いた芝居が、本作の倫理的な重力を支えています。

デイヴィッド・ミルズ刑事(演:ブラッド・ピット)

地方の小さな署から都会に赴任してきた若手刑事。妻のトレイシーを連れて新しい街での生活を始めたばかりで、街の腐敗と犯罪に向ける怒りが強い人物として描かれます。サマセットとは正反対のタイプとして組まされながら、捜査を共にする中で互いの長所をゆっくり認め合っていきます。ブラッド・ピットの本作での芝居は、本作以降のフィンチャー作品との長期にわたる協働の出発点となりました。

トレイシー・ミルズ(演:グウィネス・パルトロウ)

ミルズの妻。新しい都市での生活に馴染めずに孤独を抱える若い女性として描かれ、サマセットとも本作の中盤に静かな会話を交わす重要なシーンを共有します。グウィネス・パルトロウは本作出演当時、まだキャリア初期にありながら、トレイシーの控えめな佇まいで本作の感情の中心軸を支える名演を残しました。

ジョン・ドゥ(演:ケヴィン・スペイシー)

本作の異常な犯人。「ジョン・ドゥ(John Doe)」とは、英語で「身元不明者」を指す慣用表現です。彼は知的水準が高く、計画的で、自身の信念に基づいて七つの大罪をひとつずつ体現する殺人を続ける、本作の倫理的な暗部を担う存在です。ケヴィン・スペイシーは本作のクレジットを意図的にエンドロールに伏せる形で参加し、観客に対する驚きを最大化する工夫が採られていました。

警察署長(演:R・リー・アーメイ)

署を統括する厳格な署長。ミルズとサマセットを正反対の性格から強引に組ませる役回りで、現場の捜査の進行を管理します。R・リー・アーメイ本人の軍人経験を反映した低い声と、抑制された立ち姿が、本作の警察組織の質感を支えています。

検視官/犯罪学者/図書館員ら

本作の中盤には、それぞれの専門知を生かした脇役たちが登場します。検視官ドクター・オキャラ、図書館の閲覧履歴を握る情報屋、ジョン・ドゥの背景を語る神学者など、いずれも本作の世界観の厚みを支える性格俳優陣です。

スタッフ・キャスト陣

監督はデヴィッド・フィンチャー。本作は彼の長編劇映画の2作目にあたり、前作『エイリアン3』の興行的・批評的な失敗から立ち直る一作として、フィンチャーの作家性を世界に提示する出発点となりました。本作以降、フィンチャーは『ゲーム』『ファイト・クラブ』『ゾディアック』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』『ソーシャル・ネットワーク』『ゴーン・ガール』『MANK/マンク』『ザ・キラー』など、現代映画のもっとも重要な監督のひとりとしてのキャリアを築いていきます。

脚本はアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。彼は本作の原稿を温め続けていた当時無名の脚本家で、本作の成功によって一気に注目を集めることになりました。スタジオ側は当初、本作のラストの衝撃的な結末を「観客が許容できない」と判断して書き換えを要求していましたが、ブラッド・ピットがウォーカーの最初の脚本のままで撮影することを契約条項に盛り込んだため、本作のラストはオリジナルの形で残りました。

撮影監督はダリウス・コンジ。フランス出身のコンジは、本作のために銀残し(Bleach Bypass)と呼ばれる現像技法を全編にわたって採用し、画面の暗部を黒く沈め、コントラストを強める独特のトーンを作り上げました。本作以降の都市犯罪映画の質感の多くが、本作の画面づくりを参照点としていることは広く語られています。音楽はハワード・ショアで、抑制された電子音と弦楽を組み合わせた本作のスコアは、本作の不穏な空気を画面の外側から支える仕事として機能しています。

主演キャスト

サマセット役のモーガン・フリーマンは、本作以前にも『ドライビング Miss デイジー』『シンドラーのリスト』直前のキャリア、『ショーシャンクの空に』など、内省的な役柄で世界的な評価を得てきた俳優でした。本作のサマセットは、彼自身の俳優としての中心線をくっきりと太い線で描く役どころとして広く知られています。

ミルズ役のブラッド・ピットは、当時すでに『リバー・ランズ・スルー・イット』『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』などで主演級の実績を積んでいた若手俳優ですが、本作で彼の演技の幅と倫理的な深さが、それまでとは別段階に進んだとされます。トレイシー役のグウィネス・パルトロウ、ジョン・ドゥ役のケヴィン・スペイシー、署長役のR・リー・アーメイら、本作のアンサンブルは当時の北米映画界の名手たちで構成されています。

興行収入・話題

興行収入・話題

製作費は約3300万ドル。世界興行収入は3億2700万ドルを超え、当時のサスペンス・スリラー作品としては桁違いの大ヒットとなりました。北米市場では公開週末から好評をもって迎えられ、口コミとビデオ・DVDの売上で長期にわたって観客に届き続けました。日本でも長期上映と各種放映を通じて、サスペンス映画の代表作の地位を保ち続けています。

評価・受賞歴

第68回アカデミー賞では編集賞にノミネートされました。第49回英国アカデミー賞ではオリジナル脚本賞ノミネートを獲得しています。批評家団体やファン投票によるオールタイムベスト選にも繰り返し登場し続け、IMDbのユーザー投票では公開以後の上位に長く位置し続けています。デヴィッド・フィンチャー監督のキャリアにおいても、本作は『ファイト・クラブ』と並ぶ初期の代表作として位置づけられ、本作以降の現代サスペンスの作劇に強い影響を与え続けています。

ネタバレ

※ここからネタバレを含みます。

クライマックス

物語の中盤、ふたりの刑事は犯人ジョン・ドゥのアパートに踏み込みます。膨大な手書きノートと、彼の犯罪計画の精緻な見取り図が並ぶ部屋を発見しますが、本人はすでに姿を消しています。ふたりが捜査本部で犯人の足取りを追っていたある日、ジョン・ドゥは血まみれの状態で警察署に自ら出頭します。彼が「あと2件分の死体を見せたい」と申し出たため、3人は車に分乗して街の郊外、人目のない平原に向かうことになります。

荒野の真ん中、午前中の白い光のなかで、サマセットの携帯電話宛に小さな宅配便が届けられます。差出人はジョン・ドゥ自身。サマセットは箱を開け、その中身を確かめた瞬間、顔から血の気が引きます。「ミルズ、その箱を開けてはいけない」――彼が走ってミルズに向かう数秒のあいだに、ジョン・ドゥはミルズに向かって告げます。「君の妻の頭が、そこにある。彼女は妊娠していた。私は彼女の幸せが羨ましかった――それが私の七つ目の罪、Envy(嫉妬)だ」。

ミルズは衝撃のあまり呼吸ができないまま、銃口をジョン・ドゥに向けます。サマセットは「彼の罠だ、撃つな」と必死に呼びかけますが、ミルズの怒りは抑え切れません。彼が引き金を引いた瞬間、ジョン・ドゥの計画はついに完結します――ミルズ自身が「Wrath(怒り)」を体現してしまった、最後の罪人となるのです。

結末が示すもの

警察車両のなかでミルズは事実上正常な判断力を失った状態で連れて行かれ、サマセットは現場に取り残されたまま、長い夜明けを迎えます。本作のラストでは、サマセットが警察を退職する決断を「もう少し先延ばしにする」という選択を下し、ヘミングウェイからの引用の一節を独白します――「『この世界は美しい場所で、戦う価値がある』と、ヘミングウェイはかつて書いた。私は後半に同意する」。

犯人ジョン・ドゥの計画は、街の腐敗を七つの大罪として可視化することで、社会全体に「自分のなかにある罪」を再認識させる、というあまりに歪んだ「説教」の形を取っていました。本作はその犯人の主張を肯定するわけではなく、彼の異常な行動の前で、ミルズの善意さえもが歪められて利用されてしまうという無力感を、観客に手渡して幕を閉じていきます。本作のラストの厳しさは、現代サスペンスのラストの作り方そのものを書き換える先例として、いまも繰り返し語り継がれています。

トリビア

  1. ケヴィン・スペイシーがジョン・ドゥ役で出演する事実は、本作の劇場公開時に意図的にクレジットから外されていました。エンドロールでもキャストの最後に名前を出すという演出が採られ、本作の中盤までスペイシーの登場を秘密にする工夫が貫かれていました。

  2. 本作のラストの内容について、スタジオ側は当初「観客が受け入れない」と判断して、より穏やかなエンディングへの書き換えを脚本家アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーに迫っていました。ブラッド・ピットが本作の出演契約に「最初の脚本のままのエンディングで撮影する」という条項を盛り込んだため、最終的にラストは原案通り残されたとされます。

  3. 本作の冒頭のオープニング・タイトル・シーケンスは、Kyle Cooperが手がけたデザインで、本作以降のオープニング・タイトル・デザインの規範のひとつとなりました。手書きの不穏な文字と、手作業で加工されたフィルムの質感が、本作の世界観を最初の数分で観客に手渡します。

  4. 撮影監督ダリウス・コンジが採用した「銀残し(Bleach Bypass)」現像技法は、本作の冷たい質感を支える鍵となっています。フィルム現像時に銀の漂白を意図的に避けることで、画面のコントラストを強め、暗部を深く沈めるアプローチで、本作以降の北米サスペンス映画で広く採用されるようになりました。

  5. ジョン・ドゥのアパートに残されていた膨大な手書きノートは、撮影部の小道具班が長期にわたって本物の手書きで作成したものです。ページの手触り、筆跡の癖、紙の汚れ方まで含めて、現実の連続殺人犯のノートに近い質感で再現されました。

  6. グウィネス・パルトロウは、本作の出演当時、ブラッド・ピットと公私のパートナーとしての関係にもありました。劇中の夫婦関係の自然な親密さは、ふたりの実生活上の関係が部分的に反映されているとされます。

  7. 本作の撮影は1995年の冬に行われました。ロサンゼルスの街並みを「無名の大都市」として再構築するために、撮影部はあらゆるロケ地で雨を降らせ続け、本作の永遠に湿った街の質感を作り上げました。

撮影裏話

撮影の舞台裏

本作の撮影は、ロサンゼルスのダウンタウン、サンフランシスコ、フォート・テジョンなどの米国西部の各地で行われました。ロケ地は意図的に「特定できない大都市」として選ばれ、本作の街の名前は最後まで明示されません。撮影部は雨降らしの装置を駆使し、本作のほぼ全編にわたって路面が濡れた状態を保つことで、街の質感に独特の重さを加えました。

キャストの準備

モーガン・フリーマンは、サマセットの落ち着いた知性を表現するために、撮影期間中は事件現場に持ち込む小道具のメモ帳に、自分自身の手書きで実際のメモを書き溜めるという役作りを進めました。彼の動作の細部に、長年の刑事としての習慣が滲むのは、その積み重ねの結果です。

ブラッド・ピットは、ミルズの未熟な怒りと若い夫としての温かさの両方を演じ切るため、撮影の合間にも肉体的な訓練と感情の整え直しを続けました。クライマックスの感情の爆発のシーンの撮影では、現場でのリハーサルを最小限にとどめ、最初のテイクの感情を画面に焼き付けるアプローチが採られたとされます。

グウィネス・パルトロウは、トレイシーの孤独と希望を、本作のなかでもっとも穏やかな声色で表現しました。ケヴィン・スペイシーは、ジョン・ドゥの異常な落ち着きを保つために、撮影期間中ほとんどキャストとプライベートで関わらないアプローチを採ったとされます。

技術的な挑戦

本作の最大の技術的挑戦のひとつは、銀残し現像によるトーンの統一と、雨を降らせ続けることで作る街の質感の維持でした。ダリウス・コンジは現像段階で複数のテスト・パターンを比較し、最終的なトーンを画面の上で実現するために、フィルムの段階から撮影部・編集部と密に連携する仕事を続けました。本作のオープニング・タイトル・シーケンスを担当したKyle Cooperの仕事もまた、現代映画のオープニング・デザインの規範のひとつとして、その後の作品に強い影響を与え続けています。